現:No.006
著者:月夜見幾望


 ───翌日の放課後。場所はいつものように文学部室。
 集まっているのは、僕、青磁、茜、東雲さん、それに紺青さんの五人。紫苑先輩と千草部長は来ていない。まあ、年が明けたらすぐ受験が始まるんだし、毎日部室に顔を出すってわけにもいかないか……。

「どうした桔梗、浮かない顔して。テスト返却なら来週の月曜からだぞ。───それとも昨日千草部長に言われた『部の引き継ぎ』について、か? あんまり難しく考えなくてもなるようになると俺は思うけどな。俺と茜もできる限りのサポートはしてやるからさ。な、茜?」

 青磁に問われて、それまで新作(『招き館の殺人』)を執筆していた茜が、パソコンから顔を上げる。

「もちろんよ。桔梗一人に負担かけちゃ、ただの押し付けじゃない。私は一応副部長やるつもりだし、困ったことがあったらお互い助け合うのが文学部(ここ)の伝統でしょ? それに昨日聞いた話じゃ、千草部長も紫苑先輩もOGとしてちょくちょく顔を見せるようだし、分からないことがあったら先輩たちに聞けばいいじゃない」
「私たちも、何かお手伝いできることがあったら、微力ながら協力させてもらいますので。書記や広報なら得意ですから。ね、胡桃?」
「うん。あたしたちはまだ一年生だから頼りないかもしれないけど、4月からの活動を通して、大体のことは頭に入ってますから」

 ───困った時はお互い様。一人で抱え込まないで、ちゃんとみんなに相談すること。
 そういえば、文学部に入部した直後、当時の部長からそう言われたっけ。
 ここにいるみんなを本当に信頼しているのなら、変に隠さずに悩みを打ち明けたほうがいいのかもしれない。そう判断した僕は、自分の作品───顔も名前も知らない、とある少女の物語の原稿をみんなに見せながら口を開いた。

「部長就任の話とは違うんだけどさ。実は昨日、帰宅途中の通学路に高校生くらいの女の子が倒れていたんだ」
「ああ、救急車と野次馬でけっこうな騒ぎになっていたあれか」

 青磁も頷く。女性陣三人は、口を挟まず黙って僕の話を聞いている。

「で、桔梗。その女の子に心当たりがあるのか? 三浦さんとこのおばさんにも尋ねられていたが……」
「うん。───と言っても確証はないから、あくまで推測でしかないんだけど……その女の子って、もしかしたら僕の夢に出てくる少女なんじゃないかって思うんだ」
「桔梗先輩が執筆されている物語の……?」
「……うん。夢の中の登場人物───それも全然知らない赤の他人が、現実に現れるわけがない、と言われればその通りなんだけど……でも、僕にはどうしても『彼女』のように思えて仕方がないんだ」
「……う〜ん、桔梗の考えを否定するつもりはないけど、もし本当にそうなのだとしたら確かに不思議な話よね。ネットなんかでよく、ミステリーな出来事を集めた掲示板とか見かけるけど、あれらは信憑性に欠けるから、桔梗と似たような体験談が書きこんであったとしても、そこからどう繋がるか、までは何とも言えないし……」

 茜も唇を噛む。
 やっぱり突拍子もなさすぎたかな……。なにか根拠があるわけでもないし……。
 いきなり「詰んだ」かと思われたが、その状況は紺青さんの意味深な笑いによって打ち砕かれた。

「ふふふ……ついに、あたしの出番が来たみたいだね……」
「こ、紺青さん!? なんか笑みがすごく怖いんだけど、もしかしてどっか頭でも打った……?」
「あ、大丈夫ですよ、桔梗先輩。この笑みは胡桃が本気になった時のサインですから」
「なに、そのどっかの某小学生探偵に時計型麻酔銃で眠らされた時のような設定は!?」
「なんだ、忘れたのか桔梗。紺青の、この表情は以前に一度だけ見ているはずだぞ」
「え?……いつだったっけ?」
「───千草部長が初めて敗北した日、よ」
「……あっ」

 思い出した。
 あれは珍しく、千草部長と東雲さんが議論していた時───。確か、部長がその日までに終わらせなければならなかった書類を、会議があるからという理由で、書記である東雲さんに押し付けたのがそもそもの発端だったと思う。その時紺青さんは、無言の笑みで千草部長の弱みを次々と提示し、「───桜を苛めたら、あたしが許さないからね?」と静かな脅しをかけていた。
 あの日以来、僕たちはみんな、紺青さんに対してある共通認識を持つようになった。

 ───この子だけは敵に回すまい、と。

「赤朽葉先輩。許可さえ貰えたら、あたしの自慢の情報網を解禁しようと思いますが、いかがでしょう?」
「あ、あの、できればその情報網って具体的にどういうものか教えてもらえると……」
「えへへ。禁則事項(トップシークレット)です☆」

 天使のような笑顔で答える紺青さん。でも、その目が笑ってないのが怖い……。

「桔梗。ここはひとまず紺青に任せてみることにしよう。後はやり方が法に抵触しないことを祈るだけだが……」
「待って!! その言葉、めっちゃ不安になるんだけど!!」
「大丈夫よ。桔梗も胡桃ちゃんのことは信頼しているんでしょ。ねえ、胡桃ちゃんもヘマをやらかすようなことはしないよね?」
「うん!」
「待てや!! もしヘマをやらかしたらどうなるのさ!?」
「そんなことは絶対にしません! あんまりしつこいと赤朽葉先輩の弱みを……」
「分かりました! 紺青さんにお任せします!」

 紺青胡桃───なんて恐ろしい子なんだっ!

「では、ちょっと行ってきます。十分くらいしたら戻りますので!」

 しゅばっ!という音が聞こえるほど、切れのいい敬礼をして紺青さんは風のように部室を出て行った。

「…………」

 急に静かになる部室。……なんか室温が一気に3℃くらい下がったような感じだ。

「ごめんなさい、胡桃が無理なこと言ってしまって……。でも、胡桃はあれが『素』なので……」

 まるで、出来の悪い我が子を庇うような台詞を言う東雲さん。

「桜ちゃんが謝るようなことじゃないよ。それに私は、胡桃ちゃんの明るい性格好きだな〜。ね、桔梗と青磁もそう思うでしょ?」

 茜が、東雲さんに気付かれないように、じろり、とこちらを睨む。その視線を『同意しろ!』という意味で捉えた僕たちは、慌てて首肯を返す。

「もちろんだよ! さっきのことは全然気にしていないから!」
「本当ですか!? 良かった〜……。でも、これでも普段から胡桃のことは心配しているんですよ。なんて言うか『気付かない間に敵を増やしていくタイプ』なんじゃないかって」

 なんとなく、分かるような気もする。でも───

「僕のために動いてくれているんでしょ? 確かに脅すやり方はどうかと思うけど、その背後にある紺青さんの思いやりはちゃんと感じているから安心して」
「……あ、ありがとうございます! 桔梗先輩」

 別にお礼を言われることなんて、してないと思うんだけど……。茜と青磁は、そんな僕と東雲さんのやり取りを生温かい目で見つめていた。
 そうこうするうちに、『ハイテンションシンドローム(仮)』全開の紺青さんが、突風の如く部室に戻ってきた。

「分かりましたよ、赤朽葉先輩!!!」

 ばあんっ!!!と、扉がぶっ壊れるんじゃないかというくらい派手な音と共に、部室の気温が5℃くらい急上昇する。
 
「とりあえず落ち着いて紺青さん。逸る気持ちは分かるけど、まずは粗茶でもどうぞ」
「「今どっから取り出したし」」

 青磁と茜のツッコミがハモる。うん、やっぱりこの二人の息はぴったりだね。

「───で、何が分かったの?」
「先輩が言ってた女の子が入院している病院を突き止めました!」
「「「「どうやって!!?」」」」

 今度は四重奏(カルテット)。

「あはは。それは禁則事項(トップシークレット)です」
「……前々から思っていたけど、紺青さん、探偵に向いているんじゃない?」
「うぅ? う〜ん、あたしは『捜査』が専門だから、どっちかというと助手かな? 頭を使うのは桜の専門だよ」
「ちょっと胡桃! これは外伝じゃないんだよ?」
「あはは、そうだったね」
「とにかく、一度その病院に行ってみるのが早そうね。もう一度その女の子と会えたら、桔梗も何か分かるかもしれないし」
「俺も茜の意見に賛成だな。こういう時は、とにかく行動あるのみ、だ。幸い、明日は土曜日で学校もないし、みんなで行ってみようじゃないか。───桔梗は異論あるか?」
「ううん。折角紺青さんが調べ上げてくれたんだ。明日、十時に校門の前で落ち合おう」
「了解!!」





※   ※   ※   ※   ※





 ───翌日。紺青さんの案内で向かった先は、八王子の中心部から離れた場所に建てられた大きな病院。外観は比較的きれいで、院内の至るところに観葉植物も置かれていて落ち着いた雰囲気なんだけど、セキュリティ体制が厳しいためか、病院というよりは要塞といったイメージが強い。

「……ここ、夢の中で見た病院と同じだ……」

 少女がいつも吸い込まれていく、彼女の帰るべき場所。やっぱり、ここで間違いなさそうだ。
 正面入口から中に入る。昨日みたいに紺青さんが暴れないか心配だったけど、さすがに病院内ということを意識するだけの感性はしっかり持ち合わせているみたいで、ほかの見舞客や患者さんの迷惑にならないように注意を払っている。

「さて、病院に来たのはいいものの、こっからどうする? 桔梗は、その子の名前知らないんだろ?」
「うん……。とりあえず、受付で訊いてみることにするよ」

 『一昨日、この病院に運び込まれた高校生くらいの女の子』という特徴を伝えると、幸いにも該当者は一人だけだったらしい。

「えーと、204号室の梅染瑠璃さんのことですね。場所はあちらの渡り廊下を渡った建物の二階になります。さらに詳しい病室の場所は、近くのナースステーションでお尋ねください」
「…………」
「どうかなさいましたか?」
「え? あ、いえ、204号室ですね。どうもありがとうございました」

 駆け足でみんなの所に戻る。

「ちょっと、どうしたのよ、桔梗。ようやく例の女の子と会えるかもしれないっていうのに、ぼーっとしちゃって」
「いや……ちょっと気になることがあってね……」
「気になること、ですか?」
「……うん。彼女の名前、どこかで聞いたことがあるような気がするんだ」
「梅染…瑠璃ちゃん、だっけ? でも桔梗、顔も名前も全然知らない子って言ってたじゃない」
「会ったことはないと思う……。ただ、名前だけはずっと昔───僕が小学生くらいの時に聞いたような……」
「? 小学校の時の同級生だったとか?……いや、でも、それなら顔くらい見てるよな。う〜ん……」
「もう! 桜も先輩たちも、とりあえずその病室に行ってみましょうよ。悩むのはその後でもいいでしょう?」
「……それもそうだね。えっと、向こうの建物の二階だっけ」

 病院内は、小児科、耳鼻科、皮膚科、産婦人科など、患者の症状によってブロックが分かれているが、別館は「精神科病棟」となっていた。そこのナースステーションで204号室の場所を尋ね、別館のさらに奥へと延びる廊下を進む。昼食時が近い時間だからか、廊下の隅には、入院患者の食事を載せた台車がいくつか置かれている。
 極力段差をなくしたトイレやバス、慌ただしく廊下を駆ける医者や看護婦とすれ違いながら、僕たちは目的の病室にたどり着いた。
 ───と、その時、病室の扉が開いて、中から医師が出てきた。恐らく、梅染瑠璃という子の担当医だろう。

「ん? 君たちは?」

 医師が怪訝そうな目で僕たちを見る。

「えっと、僕たちは……」
「瑠璃の友達です。最近学校にも全然来ないからすっごく心配で……。瑠璃もずっと一人だときっと寂しいんじゃないかと思って、みんなでお見舞いに来たんです」

 茜がすかさずフォローを入れる。
 助かったよ、茜。しかし、なんて迫真に迫る演技をするんだ……。
 医師の方も、それで納得がいったみたいで、

「なるほど。しかし、今日は一段と精神が不安定みたいだから、会うのは止めといたほうがいいかもしれない」
「精神が不安定……?」
「うむ。君たちも、もしかしたら知っているかもしれないが、彼女───梅染瑠璃ちゃんは『統合失調症』にかかっていてね。その中でも彼女は典型的な妄想型───つまり、『幻覚や幻聴が症状の中心』となっている。瑠璃ちゃん本人は、外部から知覚情報が入ってくるように感じるため、実際に知覚を発生する人物や発生源が存在すると考えやすい傾向がある。ここに入院してからずっと彼女の担当医を任されているが、どうも瑠璃ちゃんは『自分が死者蘇生の研究を企む組織に利用されている』と考えているらしい。それも、かなり強い幻視体験が続いているらしく、一昨日も、『組織の手から逃げるためにここを抜け出した』と言っているが、もちろん『死者蘇生の研究も、それを成そうとする組織も、現実には存在しない』。すべて、瑠璃ちゃん本人が作り出した『幻覚』というわけだね」

「幻覚……ですか」

「そう。これは私個人の仮説で、絶対とは言い切れないのだが……そうだね、まずは『統合失調症』について、もうちょっと詳しく説明しよう。───『統合失調症』は、もともと精神分裂病と呼ばれていてね、発病率は全人口の1%程度と決して珍しい病気じゃないんだ。瑠璃ちゃんがかかっている妄想型は30〜40代の発病が多いが、『統合失調症』自体は思春期から青年期の間に発病することが多い。肝心の発病原因は現在でもまだ不明とされているのだが、脳、心因、家族、社会、遺伝など、様々な要因が重なって発病するケースが多いようだ。───そして、瑠璃ちゃんの場合、そのことに照らし合わせると、ある一つの仮説が見えてくるのだよ」

 医師はカルテを見ながら、さらに続けた。

「瑠璃ちゃんは幼い時に、妹を亡くしている。そして、それを自分の責任だと感じているらしい。当然、精神的ショックも大きかっただろう。また、その二年後には父親が勤めていた会社が倒産し、家族関係が悪化。厳しい家計を支えられなくなった父親は結局自殺してしまう……。その心因的要因が積み重なって『統合失調症』が発病し、あり得ない幻覚を見るようになる。その幻覚とは、『悪事に手を染めた悪い組織という存在を作り上げることで、過去の不幸な出来事をすべてそいつらのせいにする』というものだった。同時に、本人も気付いていない心の奥深くの願望───『死んだ妹にもう一度会いたい、という気持ちが、死者蘇生という人道から外れた研究の幻覚を作り上げてしまった』とね。───まあ、今言ったようなことは、あくまで推測でしかないわけだけど、多分もっとも真相に近い考えだと思うのだよ」





「───その……瑠璃の幻覚を破るには、どうすればいいんですか?」





「桔梗……?」

 みんなが不思議そうに僕を見る。だけど、今の話を聞いて確信した。

 ───瑠璃は、僕の従妹なんだ、と。
 
 「梅染瑠璃」という名前を聞いたことがあるのは当然だ。彼女の妹の葬式が行われた際、僕もその会場に連れて行かれたのだから。その時、二階の自室に閉じこもってしまっていた彼女の名を、僕は確かに聞いたのだ。
 
「瑠璃! せっかくあんたの一つ年上の従兄まで来てくれたんだから、少しくらい顔を出しなさい」

 結局、彼女は部屋にこもったままで、会うことはできなかった。同じ八王子に住んでいても、赤朽葉家と梅染家はそれほど交流がなく、お互い、相手の顔を見ることもないまま今まで過ごしてきたのだった。それが今になって、しかもこういう形で彼女に会うことになるとは夢にも思わなかった。
 そこに運命的なものが絡んでいるのか、なんて分からない。けど、それほど辛い日々を送ってきた瑠璃を、僕はなんとしてでも救い出してやりたい!

 医師にも、その気持ちが伝わったのだろうか、僕のほうを見て軽く頷くと、

「治療には、主流の薬物療法や作業療法などがあるが、『現実と幻覚の区別を辛抱強く教えてあげる』ことも無論、効果的に違いない。君たちの協力があるなら、あるいは瑠璃ちゃんを幻覚から解放させることもできるかもしれんな」

 そう言って、医師は軽く頭を下げると去って行った。
 その後ろ姿をしばらく見送った後、僕はみんなを振り返って、



「瑠璃の幻覚を打ち破るために───みんな、力を貸してくれ!!」



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